9/18 火を囲みながら語り合うこと
火を囲む。
僕らは夜になると外で薪をくべて、火を見る。
それは人間が管理している普段目にするようなガスコンロの火だったり、火薬の火、ライターの火とは違う自然の轟々と燃える火を囲む。
火は昔から寒さから人を守り、暗闇を明るく変えてくれた。
生物の中で唯一火を扱える人間。
いまや日常生活では怖さも熱さも忘れてしまったけどあたらよで轟々とした火を見ると目が離せなくなる。怖い。熱い。でも目が離せない。
多分遺伝子レベルで動物は火に抗うことができないんだと思う。
美しい。
そして火の動きをずっと見ていると、人間の集団の動きに似ているなと思う時がある。
薪をくべたとき、薪の水分が抜け一気に燃え移るとき、そして火が終わるとき。
火は人のように動き、集まり、狂気に満ち、燃え上がっている。
いや、多分人の中の火の動きが同じなのだ。
人間も自然の一部なのだ。
この日は大分大学の学生があたらよに来てくれた。
最近よく遊んでいて、イチオシの学生だ。
将来は学校の先生になるらしい。
その子が書いてくれたあたらよのブログ。
ありがとう。
そしてその子がやってる大分大学の「カタリバ」というプロジェクト
カタリバは大学生が、高校生に自分の体験談やヒアリングをして、高校生に沢山の選択肢を与える団体だ。そこの大分版をこの子はやっていた。
これは授業の一環なのだが、「授業の外でもカタリバをやりたい!」という声を聞いて前に一回カタリバのようなイベントを一緒に開いたこともある。
最近の学生はおもしろい。
そして、夜中なのにゆきこばぁも来た。
ぱちぱちと音がなってるのを聞いて心配して来てくれたらしい。
ごめんね。
でもそここからゆきこばぁも一緒に1時間位話した。
「火を見ると目が冴えるねぇ…」といいながらまた長い話が始まる。
日を囲みながらゆきこばぁの話を聞く。
悪くない。
いい時間だ。
こうして僕らは大事なものを思い出しながら、忘れないように、ゆっくりと自分の人生を生きていく。
あたらよな一日だった。
最後にシェイクスピアの名言を一つ。
「閉じ込められている火が、1番強く燃えるのだ」
もしあなたの心の火がいま世の中や誰かや自分自身に閉じ込められているのであれば、強く燃える事ができるかもしれない。
なにを燃やしているのか、何に燃えているのか、しっかりと見て見る時間もいいかもしれない。
みなさんもあたらよを過ごしてね