矛盾を愛して生きる!「自分」と「世界」と、ぼくの選んだ生きる道

 

 

矛盾を愛して生きる。

「自分」と「世界」と、ぼくの選んだ生きる道 

 

 

 

 

 

 

コミュニティアーティストという生き方。

 

 

先日「コミュニティアーティスト」という職業に就任した。自分で。

 

 

今まで、「だいって何やってるの?」と聞かれることが多かった。

平和活動家、バーテンダー、イベンター、キャンプファイヤー大分代表、村長、などなど聞かれてもまぁそうなんだけど何となく違うんだよなという思いがあった。

 

 

そこで自分自身を内省し、ぼくの人生のミッションは何なのだろう、自分が本当にしたいことは何なのだろうと思い返すことにした。

5時間ほどずっと1人で火を見ながら。

 その果てにコミュニティアーティストという名前に出会ったのだ。

 

肩書なんてどうでもいいけどなんとなく自分自身がこれから進んでいくための目印として名前をつけたかったという何も成し遂げていないお調子者の頭の中を書いた文章をここに記す。

 

 

 

コミュニティアーティストとはなんなのか。

 

 

 

 【コミュニティアーティスト】

”コミュニティ”と”アーティスト”という2つの「世界こそが自分である」という事実と

「自分こそが世界である」という矛盾に向き合いながらコミュニティを作り表現していく人のことだ。

 

ここでは僕が考えるコミュニティとアートの定義を語っていきたい。

 

 

 

 

●コミュニティとは

 

 「コミュニティ-共同体-」

 

wikipediaに書いてあることをざっくりと要約すると

「利害をともにし深く結びついている人々の集まり」

のことらしい。

 

ぼくは、自分自身はコミュニティまたは他人との関わりでできていると思っている。

本当の自分や、自分らしさみたいなものはないに等しい

 

ぼくの大好きな週刊少年ジャンプBleachのモブキャラの志波海燕もこういっている。

「心は体の中には無え何かを考えるとき 誰かを想うとき

そこに心が生まれるんだ

もし世界に自分一人しか居なかったら

心なんてのは何処にも無えんじゃねぇかな」

 

 

立命館大学の教授千葉雅也さんもこういっている。

 「生(せい)とは、他者と関わることです。純粋にたった一人の状態はありえません。外から影響を受けていない「裸の自分」など、ありえません。どこまで皮を剥いても出てくるのは、他者によって「つくられた=構築された」自分であり、いわば、自分はつねに「着衣」なのです。」

 

確かにそうだなと。

たうらだいという人間など存在しなくて、

 

全て他者との関わりで構築されたものの集合知でしかないと。

ぼくは教育や文化、自然、親や友達、家族、本やメンターや世界とのつながりから学んだことで作られている。自分の意志だと思っていることは今までぼくが経験したことや、いろんなものから教えてもらったものや出会った言葉から作られている。

 

それが僕自身だし、胸を張って「たうらだいだ」と言える。

 

 なので人はコミュニティでできている

お互いが共存しながら、深く結びつきながらお互いがお互いを構築しつつ、社会やコミュニティを作っている。

 

世界の人々や事象はバタフライエフェクト的に繋がりながらひとつの生命体として生きていると言える。

 

 

そして辞書の中では「人々」と書いているが、コミュニティは人々からだけで成り立っているのではない。

僕らは「自然」に生かされている。

これはリアルDASH村「あたらよ」をやってると真から感じる。

でも僕らは、いつのまにか人間がこの世界の中心で世界を作っていて、全て思い通りになるんじゃないかと勘違いしちゃう。

 

僕らは自然の一部で自然に生かされている。

周りの人でできていて周りの人に生かされている。

それが地球という動物も植物も無機質も共に暮すコミュニティで大事なことだ。

 

僕らはコミュニティ、僕らは自然。自分以外の全体でできている。

自己を捨て、より大きな全体と統合していくことが大切だと思う。

 

 

 

●アートとは

 

「アート-芸術-」

 

芸術についてゴッホはこう言っている。

「芸術とは自然に付け加えられた人間である。自然・現実・真実に付け加えられた人間である。」

 

ドイツの哲学者のニーチェは芸術についてこう述べている。

「芸術…芸術こそ至上である! それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。」

 

芸術の定義はたくさんあって難しいけど、このブログの記事が結構しっくり来ていて

https://www.webcreatorbox.com/webinfo/art-design

 

 

アートとは表現することである。

主観的であり理解されることは重要ではなく、いわゆる自分の感情のはけ口である。と。

 

 

●「自分自身」とは

 

そして自分自身とはという論に対してもうひとつ僕が信じている真実がある。

 

「この世はすべて自分が作り上げている」

という真実だ。

 

デカルトの言った「我思う故に我あり」であったり、ショーペンハウアーの言った「世界は私の象徴である」のように

自分が認識しているからこの世の中は存在しているのであり、この世界は僕の行動や感情や認識によって変化して作られていく。

 

自分が死んでしまったらこの世は終わるし、コミュニティも自然も他人も大好きなあの娘も母の作ったお吸い物の記憶も何もかも無になる。

 

 

人間は個人としてアイデンティティを確立し、自然や世界や他人と自分を分離するために芸術として自分を表現していく

ぼくは高校のときに書道を必死こいてやっていたこともあり、芸術というものに少しだが向き合ってきた。

 

この世の全ては自分でできているからこそ、自分の内側を外側に表現することが自分自身だし、世界を作ることであると考える。

 

 

 

 

「自分とは世界である。」

自分自身というものは存在しなくて、自然や世界、コミュニティ、教育や文化、遺伝など外の影響から作られているのが自分である。

 

 

 

「世界とは自分である。」

自分自身がこの世界を認識し、作り上げていくことで世界は世界で有り続けることができる。 

 

 

この2つの矛盾するアプローチで自分と世界の真実を愛し、両者を変容させ、表現していくのがコミュニティアーティストかなと。

 

 

 

 

ぼくは人が好きだ。

だから「拡張家族」を作ってるし、コミュニティを作ったり居場所を作ったりしてる。世界中の人やもの、自然がゆったり地球のリズムに乗って自分らしく幸せだったら素敵だなと常に思っている。 

 

そしてやっぱり僕を作ってくれているのは周りの人たちやメンター、家族、自然だなと思う。

 

その中で自分自身が変わらなければ、世界もコミュニティも変わらないと気がついていて、だからこそアーティストとして大好きなコミュニティを作り、表現したいと考えてる。

 

 

 

 

 

それがコミュニティアーティストという生き方。

 

 

それが僕の生きる道

 

 

これからもよろしく

 

 

 

 

 

 

 

あー

久々に自分語りしちゃったw

はずかしw

 

 

 

 

 

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田浦 大(Dai Taura)コミュニティアーティスト

 

株式会社やまとうた代表 / 拡張家族あたらよ発起人 / Im home bar Laff+オーナー / イジゲン株式会社

 

「人が自分らしい豊かな人生を送る”居場所” をつくる」をミッションに大分を拠点に新しいコミュニティや場を創るコミュニティ・アーティスト。みんなの居場所「ただいま」が言えるコミュニティをベースとしたBAR、LAFF+の経営、年間400人が来村する40人のミレニアル世代と地元の村民 が交わり「拡張家族」をコンセプトにともに村をつくるリアル版 DASH!村「あたらよ」を立ち上げ。その他、CAMPFIRE 大分代表、イジゲン株式会社との提携など幅広く活動。2016年より世界経済フォーラム Global Shapers 選出。