矛盾を愛して生きる!「自分」と「世界」と、ぼくの選んだ生きる道
矛盾を愛して生きる。
「自分」と「世界」と、ぼくの選んだ生きる道
コミュニティアーティストという生き方。
先日「コミュニティアーティスト」という職業に就任した。自分で。
今まで、「だいって何やってるの?」と聞かれることが多かった。
平和活動家、バーテンダー、イベンター、キャンプファイヤー大分代表、村長、などなど聞かれてもまぁそうなんだけど何となく違うんだよなという思いがあった。
そこで自分自身を内省し、ぼくの人生のミッションは何なのだろう、自分が本当にしたいことは何なのだろうと思い返すことにした。
5時間ほどずっと1人で火を見ながら。
その果てにコミュニティアーティストという名前に出会ったのだ。
肩書なんてどうでもいいけどなんとなく自分自身がこれから進んでいくための目印として名前をつけたかったという何も成し遂げていないお調子者の頭の中を書いた文章をここに記す。
コミュニティアーティストとはなんなのか。
【コミュニティアーティスト】
”コミュニティ”と”アーティスト”という2つの「世界こそが自分である」という事実と
「自分こそが世界である」という矛盾に向き合いながらコミュニティを作り表現していく人のことだ。
ここでは僕が考えるコミュニティとアートの定義を語っていきたい。
●コミュニティとは
「コミュニティ-共同体-」
wikipediaに書いてあることをざっくりと要約すると
「利害をともにし深く結びついている人々の集まり」
のことらしい。
ぼくは、自分自身はコミュニティまたは他人との関わりでできていると思っている。
本当の自分や、自分らしさみたいなものはないに等しい。
ぼくの大好きな週刊少年ジャンプのBleachのモブキャラの志波海燕もこういっている。
「心は体の中には無え何かを考えるとき 誰かを想うとき
そこに心が生まれるんだ
もし世界に自分一人しか居なかったら
心なんてのは何処にも無えんじゃねぇかな」
立命館大学の教授千葉雅也さんもこういっている。
「生(せい)とは、他者と関わることです。純粋にたった一人の状態はありえません。外から影響を受けていない「裸の自分」など、ありえません。どこまで皮を剥いても出てくるのは、他者によって「つくられた=構築された」自分であり、いわば、自分はつねに「着衣」なのです。」
確かにそうだなと。
たうらだいという人間など存在しなくて、
全て他者との関わりで構築されたものの集合知でしかないと。
ぼくは教育や文化、自然、親や友達、家族、本やメンターや世界とのつながりから学んだことで作られている。自分の意志だと思っていることは今までぼくが経験したことや、いろんなものから教えてもらったものや出会った言葉から作られている。
それが僕自身だし、胸を張って「たうらだいだ」と言える。
なので人はコミュニティでできている。
お互いが共存しながら、深く結びつきながらお互いがお互いを構築しつつ、社会やコミュニティを作っている。
世界の人々や事象はバタフライエフェクト的に繋がりながらひとつの生命体として生きていると言える。
そして辞書の中では「人々」と書いているが、コミュニティは人々からだけで成り立っているのではない。
僕らは「自然」に生かされている。
これはリアルDASH村「あたらよ」をやってると真から感じる。
でも僕らは、いつのまにか人間がこの世界の中心で世界を作っていて、全て思い通りになるんじゃないかと勘違いしちゃう。
僕らは自然の一部で自然に生かされている。
周りの人でできていて周りの人に生かされている。
それが地球という動物も植物も無機質も共に暮すコミュニティで大事なことだ。
僕らはコミュニティ、僕らは自然。自分以外の全体でできている。
自己を捨て、より大きな全体と統合していくことが大切だと思う。
●アートとは
「アート-芸術-」
芸術についてゴッホはこう言っている。
「芸術とは自然に付け加えられた人間である。自然・現実・真実に付け加えられた人間である。」
ドイツの哲学者のニーチェは芸術についてこう述べている。
「芸術…芸術こそ至上である! それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。」
芸術の定義はたくさんあって難しいけど、このブログの記事が結構しっくり来ていて
https://www.webcreatorbox.com/webinfo/art-design
アートとは表現することである。
主観的であり理解されることは重要ではなく、いわゆる自分の感情のはけ口である。と。
●「自分自身」とは
そして自分自身とはという論に対してもうひとつ僕が信じている真実がある。
「この世はすべて自分が作り上げている」
という真実だ。
デカルトの言った「我思う故に我あり」であったり、ショーペンハウアーの言った「世界は私の象徴である」のように
自分が認識しているからこの世の中は存在しているのであり、この世界は僕の行動や感情や認識によって変化して作られていく。
自分が死んでしまったらこの世は終わるし、コミュニティも自然も他人も大好きなあの娘も母の作ったお吸い物の記憶も何もかも無になる。
人間は個人としてアイデンティティを確立し、自然や世界や他人と自分を分離するために芸術として自分を表現していく。
ぼくは高校のときに書道を必死こいてやっていたこともあり、芸術というものに少しだが向き合ってきた。
この世の全ては自分でできているからこそ、自分の内側を外側に表現することが自分自身だし、世界を作ることであると考える。
「自分とは世界である。」
自分自身というものは存在しなくて、自然や世界、コミュニティ、教育や文化、遺伝など外の影響から作られているのが自分である。
「世界とは自分である。」
自分自身がこの世界を認識し、作り上げていくことで世界は世界で有り続けることができる。
この2つの矛盾するアプローチで自分と世界の真実を愛し、両者を変容させ、表現していくのがコミュニティアーティストかなと。
ぼくは人が好きだ。
だから「拡張家族」を作ってるし、コミュニティを作ったり居場所を作ったりしてる。世界中の人やもの、自然がゆったり地球のリズムに乗って自分らしく幸せだったら素敵だなと常に思っている。
そしてやっぱり僕を作ってくれているのは周りの人たちやメンター、家族、自然だなと思う。
その中で自分自身が変わらなければ、世界もコミュニティも変わらないと気がついていて、だからこそアーティストとして大好きなコミュニティを作り、表現したいと考えてる。
それがコミュニティアーティストという生き方。
それが僕の生きる道。
これからもよろしく
あー
久々に自分語りしちゃったw
はずかしw
・リアルDASH村 拡張家族あたらよ
https://www.instagram.com/atarayomura/
・「ただいま」がいえるBar Im home bar Laff+
世界最大のサブスクリプションエコノミー「always」
田浦 大(Dai Taura)コミュニティアーティスト
株式会社やまとうた代表 / 拡張家族あたらよ発起人 / Im home bar Laff+オーナー / イジゲン株式会社
「人が自分らしい豊かな人生を送る”居場所” をつくる」をミッションに大分を拠点に新しいコミュニティや場を創るコミュニティ・アーティスト。みんなの居場所「ただいま」が言えるコミュニティをベースとしたBAR、LAFF+の経営、年間400人が来村する40人のミレニアル世代と地元の村民 が交わり「拡張家族」をコンセプトにともに村をつくるリアル版 DASH!村「あたらよ」を立ち上げ。その他、CAMPFIRE 大分代表、イジゲン株式会社との提携など幅広く活動。2016年より世界経済フォーラム Global Shapers 選出。
9/22 畑と子供とネイティブアメリカン。
この日はたくさん子どもたちが来て
たくさんはしゃいだ日だった。
まず、みんなで朝起きて眠気眼のまま畑に行く。
そして朝ごはんで自分が食べる分の野菜を自分たちで取る。
朝の畑はひんやりしてて野菜の葉っぱも冷たく朝露で濡れている。
この日は大根と小松菜と白菜と水菜を収穫。
そしてとれたて野菜を洗ってすぐ朝ごはんに使う。
大根は味噌汁と大根菜の漬物に。
白菜と水菜と小松菜はちぎってサラダに。
何という贅沢…!
みんなでいただきますしたらまたそれは美味しい!
ご飯がすすむ!すすむ!
昼からみんなでBBQの予定なのに、結構朝ガッツリ食べてしまった。
そして昼になったら、何故かたまたまこの日は子どもたちが大集合!
下は0歳から上は8歳までの5人のこどもが集まりました。
ママたちも普段は忙しくて大変だろうから、
あたらよに来て他のママたちと話して少しでもゆっくりしてくれたらいいな。
そうだ。
いつかママ部を作ろう!
今は子供を預けると言ったら
親か、兄弟かになっちゃうと思うんだけど、そこに選択肢の一つとしてあたらよの家族たちが入ったらそれは幸せだろうなぁ。
そしてママ部の中でベビー用品をシェアしたり、子育てノウハウをシェアしたり、子どもたちの遊び場を作ったり、そういうのができたらいいなと思ってる。
よしみんなに相談だ!。
そんな間にも子どもたちはひたすら元気に走り回って、
どこかで誰かが泣いていて、
悪さばっかりする。w
その間に大人たちは昼から乾杯w
んー。天気がいいと最高だなぁ。
なんかもうBBQやら昼からビールを飲むことにも飽きてきたんだけど
やっぱりみんなで飲んだら楽しいしおいしい。
そして子どもたちと一緒にまた畑に行って
育ってる中の一番でかい大根を収穫する。
うんうん。こういう体験をたくさんさせてあげたい。
その後はみんなでメンバーの名前をつける板をつくる
名前を書く板を作るためにはじめてののこぎり体験。
大怪我するなよー!まなべー!w
やっぱり子どもたちは宝だなと改めて実感。
ほんとに純粋で、まっすぐでみんなに元気を与えてくれる。
村作りに一番大事で、みんなのエンジンになるのは子供なのかもしれない。
太古の昔から出産は神聖なもので危険なものだったし、だからこそ母親は偉大で子供は本当に村中の宝だった。
いまは近所の子供達と勝手に遊ぼうものなら通報され、たまに遊べたとしてもその子の教育までは考えていなくて、真剣に怒ってあげる人もいない。
すべて親のおかげ親のせいにされて、ママがどんどん孤独になる。
なんか違うのみんなわかってるんだけど仕方ない。
そういう世の中だから。
でもなんか寂しいよねってずっと思ってる。
ここでネイティブアメリカンの言葉を一つ。
「自分自身のことでもなく、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私達の孫や、生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる」ナイティブインディアンの古老
もうひとつ
「なにを成すのであれ、今から七世代後の子どもたちへの影響を考慮して行わなくてはならない」チェロキー族
ネイティブアメリカンかっこよすぎワロタwwww
自然と共存し尊敬して畏怖して、ずっと前の先祖と、すっと先の子どもたちのことまで考えて、僕らは生きていくべきだと思う。そして村全体、世界全体で今の子供達を守って育てて行こう。
そうだろ!?
ネイティブアメリカンはそれが本能的にわかってるし、それを言葉にしてくれてるんじゃないかな。素敵だ。
んー
やっぱりとりあえずはママ部だなw
そこから教育に携わっていきたいし、あたらよがそういう場所になったらいいなと思ってる。
よーしがんばるぞー!
最後はこの日突然挨拶に来た近所のおいちゃんの写真でお別れw
やっぱ違うなw
子供の写真でお別れ
それではみなさん
今日もあたらよを過ごしてね
9/18 火を囲みながら語り合うこと
火を囲む。
僕らは夜になると外で薪をくべて、火を見る。
それは人間が管理している普段目にするようなガスコンロの火だったり、火薬の火、ライターの火とは違う自然の轟々と燃える火を囲む。
火は昔から寒さから人を守り、暗闇を明るく変えてくれた。
生物の中で唯一火を扱える人間。
いまや日常生活では怖さも熱さも忘れてしまったけどあたらよで轟々とした火を見ると目が離せなくなる。怖い。熱い。でも目が離せない。
多分遺伝子レベルで動物は火に抗うことができないんだと思う。
美しい。
そして火の動きをずっと見ていると、人間の集団の動きに似ているなと思う時がある。
薪をくべたとき、薪の水分が抜け一気に燃え移るとき、そして火が終わるとき。
火は人のように動き、集まり、狂気に満ち、燃え上がっている。
いや、多分人の中の火の動きが同じなのだ。
人間も自然の一部なのだ。
この日は大分大学の学生があたらよに来てくれた。
最近よく遊んでいて、イチオシの学生だ。
将来は学校の先生になるらしい。
その子が書いてくれたあたらよのブログ。
ありがとう。
そしてその子がやってる大分大学の「カタリバ」というプロジェクト
カタリバは大学生が、高校生に自分の体験談やヒアリングをして、高校生に沢山の選択肢を与える団体だ。そこの大分版をこの子はやっていた。
これは授業の一環なのだが、「授業の外でもカタリバをやりたい!」という声を聞いて前に一回カタリバのようなイベントを一緒に開いたこともある。
最近の学生はおもしろい。
そして、夜中なのにゆきこばぁも来た。
ぱちぱちと音がなってるのを聞いて心配して来てくれたらしい。
ごめんね。
でもそここからゆきこばぁも一緒に1時間位話した。
「火を見ると目が冴えるねぇ…」といいながらまた長い話が始まる。
日を囲みながらゆきこばぁの話を聞く。
悪くない。
いい時間だ。
こうして僕らは大事なものを思い出しながら、忘れないように、ゆっくりと自分の人生を生きていく。
あたらよな一日だった。
最後にシェイクスピアの名言を一つ。
「閉じ込められている火が、1番強く燃えるのだ」
もしあなたの心の火がいま世の中や誰かや自分自身に閉じ込められているのであれば、強く燃える事ができるかもしれない。
なにを燃やしているのか、何に燃えているのか、しっかりと見て見る時間もいいかもしれない。
みなさんもあたらよを過ごしてね
9/14ダイバーシティがはんぱねぇ
ダイバーシティがはんぱねぇ。
昨日のはちゃめちゃな長い長い夜を終え、朝は少しの頭痛と風鈴の音で起きる。
今日は筋ジストロフィーの詩家の芦刈さんがあたらよに遊びに来てくれる日だ。
そして昨日行った竹田南高校の寮監のおじさんもあたらよに来てくれることになったんだっけ。
また騒がしい一日になりそうだなと覚悟を決める。
そして3人で朝食。
今日は二日酔いに効くうどん。
めちゃ染み渡る…。
そして畑仕事。
今日は生えすぎて人口密度が東京みたいになっている水菜を間引きする&虫が来なくなる木酢液(もくさくえき)というのを野菜たちにかける。
水菜が袋ふたついっぱいになるくらい取れて普段冷静沈着な僕もこの表情。
ちなみに木酢液とは
木酢液(もくさくえき)とは、木材を乾留した際に生じる乾留液の上澄分のこと。代表的な例としては、炭焼き時に副産物として木酢液が製造される。wiki調べ。
なんかすごく懐かしい匂いがする液です。
4リットル1000円くらい。それを30倍に薄めて使うから120リットル分の木酢液ができますw
そして買い出しや掃除をする。
そして、12時頃寮監さんが来てくださり、
13時頃に筋ジストロフィーの芦刈さんをのせた障害者用のタクシーも到着。
障害者用のタクシー始めてみた。でけー。
これのおかげでたくさんの笑顔が生まれてるんだろなーと思った。
みんなであたらよの紹介をしながらのBBQが始まった。
BBQの始まりは発泡酒で乾杯。
芦刈さんは動けないのでストローで。
途中からゆきこばぁも入って
筋ジストロフィーの芦刈さんとは、僕がやってるキャンプファイヤー大分のクラウドファンディングを通して繋がった。
芦刈さんが
「僕と同じように苦しんでる人に生きる勇気を伝えたい。そして生きた証を残したい。」
と自分が小学校の時から書いている詩を詩集にしたいからクラウドファンディングを使いたいと相談してくださったのだ。
その時のページがこちら
寄付等も集めると200万円を超える支援がありました。
そして無事に詩集も作ることができました!
もし、ほしい方がいたら僕に連絡してくださいな!
とまぁ
みんなでワイワイと飲みながら遊びながらBBQをしました。
トムちゃんのホイル焼きが絶品だったなぁ。
「醤油とみりんいれとけばだいたい日本人の舌に合う」
と言って全部に入れてたけどうまかったw
寮監さんは常に手伝ってくれて、めちゃいい人だった。
最後はみんなで写真を撮って
今日も楽しかった!
みなさんもあたらよを過ごしてね
9/13 夜 100万人のライブステージ
竹田南高校の月末の文化祭への出店を決め、ハッピーなやりきったような気持ちであたらよに帰る。
時間はもう23時。
少しだけ眠いけどせっかく集まってみんなでいるんだからまだ寝たくない。
外でBBQと燻製をしながらの飲み会が始まった。
その日は俺と将軍のほかにこいつがあたらよに泊まっていた。
東京からきた俺の拡張家族でトムちゃん。ゲイだ。
東京を拠点にデザイナー+コンサルタントとして企業やイベントのデザインから一緒にコンサルしている。絵を見せて見せてもらったがしゅごい。想像の24789倍すごくてびっくりした。
そしてLGBTの仕事もしていて、雑誌なんかも出してる。凄腕だ。
しかし、こいつがやばい。
夜になるとやばい。
みんなも酔い始めた深夜一時。
彼のライブステージが始まった。
ひたすらに踊る。
そして踊る。
大音量で踊る。
終わった…。
と思ったら
まだ踊る…!!
誰もいない平均年齢80歳の村の中で彼には100万人の観客が見えていたんだと思う。
これを夜中の3時まで。
本当に長い一日だった。
少しだけ
早くこの夜終わらないかなと思ったことは内緒だw
あたらよは
明けるのが惜しいほど素敵な夜という意味!というのを自分で再確認して、ひたすら踊りを見た。
トムちゃん大好き。
最高の夜だった。
そんな最高のトムちゃんの仕事見たいなーと思った人は
に連絡だ!
素敵な絵を書いてくれて機嫌がよかったら踊りも披露してくれるはずだ!
それではみんな
きょうもあたらよを過ごしんしゃい
9/11 街をキレイにってむずかしい
vol, 街をキレイにってむずかしい。
帰る時、ゆきこばぁのところに行った。
「ゆきこばぁ帰るねー」というと毎回
「もう帰るんね。寂しいねぇ」と言ってくれる。
そして
「次はいつ来るんね」
と聞いてくる。
「今週は結構来るけんね。明日も来るよ」
というと
「そうねそうね」
と言いながら横に座る。
そしてここからいつもの長い話が始まる。
今日は
今度の日曜に行われるらしい部落の道路掃除の話がメインだった。
ゆ「今度土曜日部落のみんなで道路の草を抜いたり、道路にかかっちょん木を切ったりするんよ。こうやちゃんに聞いた?」
だ「いや、聞いてないよ。事前に言ってくれたら全然参加するのに」
ゆ「そうかい。まぁいいたい。あんたたちはまだ部落に入ってないけんね。こうやちゃんも気つこうてるんやろ」
(ちなみに部落に入るには入会金10万円が必要なので、入らなくてもいいとゆきこばぁから言われた)
だ「おれらそういうのには積極的に参加したいって知ってるやろ?次からは事前に言うてね。日曜日来れるメンバー探してみるね」
ゆ「よかたいよかたい。今回はこんでよか。次は先にいうちょくようにいうちょく」
だ「んー。わかった。何時からやるの」
ゆ「朝から道路の掃除をして、昼からはあのここの部落に上がってくる坂の木が、かやっちょる(道に垂れかかってるという意味?)でしょうが。あれで空が隠されて道が狭く見えるんじゃ。だから午後からはあの木をみんなで切るの。空が見えたほうがきもちいやろが」
確かにゆず坂の手前の坂には、木が伸びて道に侵食してきてる。
こんなかんじに
ゆきこばぁの話を聞いて
それは大変だなぁ。バァちゃんか体動かないだろうに。
と思ったのと同時に、何かに「モヤッ」ときた。
ん?なんだろうこのモヤッとは。
なにかにおれは今、モヤッと来てる。
ゆきこばぁにさよならして大分市に帰る。
さきほどのモヤっとについて考えてみた。
んーーー。
もやもや。ぴーーーーーっ。
なんだろう。
自分の心を分析して、素直に心の声を感じてみる。
あぁ
そうか。
ぼくはさっきのゆきこばぁの話を聞いて、真っ先に道路工事や草の選定は
「行政の仕事」
だと思ったんだ。
それで「僕らがする必要ないんじゃないか」と考え、
そして、そんな街のことや地域のこと、そしてみんなが困ってることを自分の時間を使って自分からやろうとしているゆきこばぁたちの「あたりまえ」にジェラシーを感じてたんだ。
ぼくらもあの木が道路に被ってるのは知ってた。
台風の風がすごかったから、木とかが落ちて車に当たりそうになるときもあった。
「邪魔だなぁ」
「これ草とか切らないといずれ道路なくなっちゃうんじゃないかな」
とかは思ったことあっても、自分たちから時間を取って、みんなでやろうとは思わなかった。
直感的に行政の仕事でしょ?と思ってしまった。
行政はみんなができないことを
みんなからのお金をもらってやってくれる組織なだけで
何でも屋さんではないのに。
もともと地域のことは自分たちで、みんなで考えることが当たり前で
自分たちで水道工事、道路の草の選定など行政がやってくれてることをやったらいけないなんてルールはない。
でも僕らはそれを行政に任せっきりで、そもそも「自分でやる」という選択肢すらなくなってしまってるんじゃないかな。
村つくり
地方創生の新しい形
農村社会実験
なんて言いながらあたらよをやってるけど、僕らが受け取るもののほうが断然大きい。こういう地域の考え方、田舎のコミュニケーションにはいつも考えさせられる。
自分を一度壊し、再認識し、再構築し新しい自分たちに生まれ変わる。
そして自分の周りの人や環境をもう一度見る。
こんなに狂ってて、こんなにも優しくて愛おしい。
とりあえず今日は
なんとなく家の周りの草とかを抜いてみよう。
しゃがんで見たら街の見え方も変わるかもしれない。
それでは皆さんが今日もあたらよを過ごせますように。
Vol.3 9/13 竹田南高校に遊びに行く
今日は朝から東京のCiftのメンバーが2人とおこちゃまと愉快な仲間たちが2人来てくれた。
あたらよがすごい高地にあってびっくり!
ありがとう。またきてね
そして午後からは将軍と竹田南高校の寮に遊びに行く。
竹田南高校は全国から不登校みたいな子たちが多く集まる、豊後大野市のお隣の竹田市にある高校だ。
僕らがやってる村つくり、多拠点生活、人類皆家族、大人って楽しい!
というメッセージは高校生たちになにか与えられるんじゃないか。
ダイバーシティと謳われる世の中で、既存の学校生活に馴染めなかった子たち、人間関係にうまく行かなかった子たち、障害があると診断された子たち、地域で学ぶ子たちから僕らが学べることがたくさんあるのではないか。
と思い先日理事長先生にご挨拶して、交流を持てないかとお話したところ、快く了解してくださり(懸念はたくさんもたれていたが)今日のイベントが実現したのだ。
竹田南高校は竹田市の自然の中にある、全寮制の高校だ。
生徒の半数は寮で暮らしている。
最初は体育館で生徒のみんなにご挨拶。
ガチガチに緊張してたぼくと将軍だったけど生徒たちの明るい挨拶に気持ちがほぐれる。
そのあとは学食でみんなで夜ご飯を食べる。
今日の献立はサバの味噌煮。普通にうまい。
寮の飯ってまずいだろうって勝手に思ってたからびっくり。
写真は嫌がる子もいるかなと思ってあまり撮っていないので文字ばかりになっちゃう。がしかたない。
そして竹田南高校は今、体育祭の準備でばたばた。
そんなときに行ってすいません…w
生徒と触れ合いながらぽんぽんを作るのを手伝った。
その後はバスケして汗だくになって
バドミントンして嗚咽が出て
勉強してる子達がいる教室を見て回って、
人工芝の校庭で空見て
生徒と語り合って
最後はみんなでスマブラしたw
そして将軍と語りながら帰宅。
とりあえず第一回目としてみんながなついてくれて、遊んでくれて、楽しそうにしてくれてよかった。
反省点はたくさんあったけど、とりあえずよかったねと楽しく帰りました。
不登校児が多く在籍している学校 というとなにかマイナスのような、
「あぁそういう学校ね」みたいな、なんとも言えない周りからのざらっとした空気を感じる時がある。
不登校=良くないことという認識がまだあるからだろうか。
もはや不登校はブランドになりつつあるのに。
ぼくは不登校になったことはないけど
人間関係に悩んだり、学校サボってしまったり、死のうと思ったことも何度もある。
生物学的に多様に進化していくことが遺伝子に組み込まれていて、なおマジョリティーが受け入れられていっているこの素晴らしい世界に、まだ昔の固定概念たっぷりの社会文化があることを少しさみしく思う。
否定はしないけど寂しい。
みんなちがってみんないい。
みんなが楽しく家族になって触れ合ったり離れたりしながら
笑って生きていけるような社会を作りたいと強く思った一日でした。
あたらよはそういう文化を作るために存在している。
9月の29日30日には竹田南高校の文化祭と体育祭がある。
そこにあたらよもブースを出店することが決まった。
すごく楽しみだ。
それではみなさん
今日もあたらよを。