9/11 街をキレイにってむずかしい
vol, 街をキレイにってむずかしい。
帰る時、ゆきこばぁのところに行った。
「ゆきこばぁ帰るねー」というと毎回
「もう帰るんね。寂しいねぇ」と言ってくれる。
そして
「次はいつ来るんね」
と聞いてくる。
「今週は結構来るけんね。明日も来るよ」
というと
「そうねそうね」
と言いながら横に座る。
そしてここからいつもの長い話が始まる。
今日は
今度の日曜に行われるらしい部落の道路掃除の話がメインだった。
ゆ「今度土曜日部落のみんなで道路の草を抜いたり、道路にかかっちょん木を切ったりするんよ。こうやちゃんに聞いた?」
だ「いや、聞いてないよ。事前に言ってくれたら全然参加するのに」
ゆ「そうかい。まぁいいたい。あんたたちはまだ部落に入ってないけんね。こうやちゃんも気つこうてるんやろ」
(ちなみに部落に入るには入会金10万円が必要なので、入らなくてもいいとゆきこばぁから言われた)
だ「おれらそういうのには積極的に参加したいって知ってるやろ?次からは事前に言うてね。日曜日来れるメンバー探してみるね」
ゆ「よかたいよかたい。今回はこんでよか。次は先にいうちょくようにいうちょく」
だ「んー。わかった。何時からやるの」
ゆ「朝から道路の掃除をして、昼からはあのここの部落に上がってくる坂の木が、かやっちょる(道に垂れかかってるという意味?)でしょうが。あれで空が隠されて道が狭く見えるんじゃ。だから午後からはあの木をみんなで切るの。空が見えたほうがきもちいやろが」
確かにゆず坂の手前の坂には、木が伸びて道に侵食してきてる。
こんなかんじに
ゆきこばぁの話を聞いて
それは大変だなぁ。バァちゃんか体動かないだろうに。
と思ったのと同時に、何かに「モヤッ」ときた。
ん?なんだろうこのモヤッとは。
なにかにおれは今、モヤッと来てる。
ゆきこばぁにさよならして大分市に帰る。
さきほどのモヤっとについて考えてみた。
んーーー。
もやもや。ぴーーーーーっ。
なんだろう。
自分の心を分析して、素直に心の声を感じてみる。
あぁ
そうか。
ぼくはさっきのゆきこばぁの話を聞いて、真っ先に道路工事や草の選定は
「行政の仕事」
だと思ったんだ。
それで「僕らがする必要ないんじゃないか」と考え、
そして、そんな街のことや地域のこと、そしてみんなが困ってることを自分の時間を使って自分からやろうとしているゆきこばぁたちの「あたりまえ」にジェラシーを感じてたんだ。
ぼくらもあの木が道路に被ってるのは知ってた。
台風の風がすごかったから、木とかが落ちて車に当たりそうになるときもあった。
「邪魔だなぁ」
「これ草とか切らないといずれ道路なくなっちゃうんじゃないかな」
とかは思ったことあっても、自分たちから時間を取って、みんなでやろうとは思わなかった。
直感的に行政の仕事でしょ?と思ってしまった。
行政はみんなができないことを
みんなからのお金をもらってやってくれる組織なだけで
何でも屋さんではないのに。
もともと地域のことは自分たちで、みんなで考えることが当たり前で
自分たちで水道工事、道路の草の選定など行政がやってくれてることをやったらいけないなんてルールはない。
でも僕らはそれを行政に任せっきりで、そもそも「自分でやる」という選択肢すらなくなってしまってるんじゃないかな。
村つくり
地方創生の新しい形
農村社会実験
なんて言いながらあたらよをやってるけど、僕らが受け取るもののほうが断然大きい。こういう地域の考え方、田舎のコミュニケーションにはいつも考えさせられる。
自分を一度壊し、再認識し、再構築し新しい自分たちに生まれ変わる。
そして自分の周りの人や環境をもう一度見る。
こんなに狂ってて、こんなにも優しくて愛おしい。
とりあえず今日は
なんとなく家の周りの草とかを抜いてみよう。
しゃがんで見たら街の見え方も変わるかもしれない。
それでは皆さんが今日もあたらよを過ごせますように。